byBB
昔、村の集会場だった国宝
Category:大分
今日から師走。今年もあと1か月ですね。
先週の土曜日、もうすぐ12月というのに秋桜が咲き、そのうしろに大きな銀杏の木が見えるお寺に行きました。
大分県豊後高田市にある富貴寺です。
寺のある地域は「蕗」という地名で、それを「富貴」に変えて富貴寺となっています。
小さなお寺ですが、ここには国宝があるのです。
それが富貴寺大堂。阿弥陀堂です。
参拝受付のおばちゃんいわく、今年は葉の色づきが悪いそうです。確かに過去訪れたときは銀杏の葉がもっと鮮やかで敷地一面を覆いつくし、阿弥陀堂が黄金色に染まっていました。今回は落葉もまだ少なく、このブログを書いているころはもっとイチョウの葉が地面を覆いつくして画になっていたかも。
富貴寺大堂は、宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつで、現存する九州最古の木造建築物です。
そんな大堂ですが、明治40年に特別保護建造物に指定されるまでは、村の集会場として使われていました。さらに子供の遊び場にもなっていたそうで、外遊びの一つ「釘刺し」を雨の日は堂内で行っていたそうです。床はカヤの木なので柔らかく刺さりやすいそうで、今は床の上に畳が敷かれていますが、畳の下の床は傷だらけなんだそうです。その遊びをしていた人は昨年99歳で大往生したそうで、バチは当たらなかったみたいです(^^♪
その後、昭和27年以降は国宝として保護され、古いもので使えるものは再利用し建物の大改修が行われています。なので外観はとてもきれいです。
内部には阿弥陀如来坐像があり、こちらは重要文化財に指定されています。
屋根の改修も行われ行基瓦葺。丸瓦の先端は阿弥陀様が彫られています。
さてこの国宝があるお寺「富貴寺」は平安時代の建立です。
で、建立したのは宇佐神宮なんです。大分県国東半島は宇佐神宮に関係するお寺が多いことで有名で、神仏習合の原点となる山岳宗教、「六郷満山」と呼ばれています。
この辺りのお寺には鳥居があったりするのが普通なのです。
こういう由緒あるお寺ですが、現在檀家は十数名。200年くらい前でも30もなかったとか。
昔は宇佐神宮の庇護を受けていたそうですが、戦国時代のキリシタン大名大友宗麟が宇佐神宮を焼き討ちにしたりして、宇佐神宮の勢力が縮小し、「もう面倒見切れない」と見放されて衰退していったそうです。
それでも細々と続けた富貴寺。そして村の集会場が国宝になったんです。
そのおかげで檀家は少ないけど本堂は改築工事が行われています。良かった良かった
POI
先週の土曜日、もうすぐ12月というのに秋桜が咲き、そのうしろに大きな銀杏の木が見えるお寺に行きました。
大分県豊後高田市にある富貴寺です。
寺のある地域は「蕗」という地名で、それを「富貴」に変えて富貴寺となっています。
小さなお寺ですが、ここには国宝があるのです。
それが富貴寺大堂。阿弥陀堂です。
参拝受付のおばちゃんいわく、今年は葉の色づきが悪いそうです。確かに過去訪れたときは銀杏の葉がもっと鮮やかで敷地一面を覆いつくし、阿弥陀堂が黄金色に染まっていました。今回は落葉もまだ少なく、このブログを書いているころはもっとイチョウの葉が地面を覆いつくして画になっていたかも。
富貴寺大堂は、宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつで、現存する九州最古の木造建築物です。
そんな大堂ですが、明治40年に特別保護建造物に指定されるまでは、村の集会場として使われていました。さらに子供の遊び場にもなっていたそうで、外遊びの一つ「釘刺し」を雨の日は堂内で行っていたそうです。床はカヤの木なので柔らかく刺さりやすいそうで、今は床の上に畳が敷かれていますが、畳の下の床は傷だらけなんだそうです。その遊びをしていた人は昨年99歳で大往生したそうで、バチは当たらなかったみたいです(^^♪
その後、昭和27年以降は国宝として保護され、古いもので使えるものは再利用し建物の大改修が行われています。なので外観はとてもきれいです。
内部には阿弥陀如来坐像があり、こちらは重要文化財に指定されています。
屋根の改修も行われ行基瓦葺。丸瓦の先端は阿弥陀様が彫られています。
さてこの国宝があるお寺「富貴寺」は平安時代の建立です。
で、建立したのは宇佐神宮なんです。大分県国東半島は宇佐神宮に関係するお寺が多いことで有名で、神仏習合の原点となる山岳宗教、「六郷満山」と呼ばれています。
この辺りのお寺には鳥居があったりするのが普通なのです。
こういう由緒あるお寺ですが、現在檀家は十数名。200年くらい前でも30もなかったとか。
昔は宇佐神宮の庇護を受けていたそうですが、戦国時代のキリシタン大名大友宗麟が宇佐神宮を焼き討ちにしたりして、宇佐神宮の勢力が縮小し、「もう面倒見切れない」と見放されて衰退していったそうです。
それでも細々と続けた富貴寺。そして村の集会場が国宝になったんです。
そのおかげで檀家は少ないけど本堂は改築工事が行われています。良かった良かった
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