byBB
岩国城
Category:旅行
岩国城は、毛利家の家臣の吉川広家によって1608年に標高約200メートルの横山の山頂に作られた山城です。
(現在はロープウェイで登ることができます)
岩国は本藩である毛利家の長州藩から支藩と認められなかったため、独立した藩ではありませんでした。
そのため、徳川幕府の一国一城制により築城後わずか8年で取り壊されててしまいます。
現在の天守は、昭和37年に再建されたもので、実際にあった場所から数十メートル移動した位置に建てられています。
元の場所には当時の石積み技術のままで石垣が修復されています。
昭和37年、この城を再建するときに錦帯橋がよく見えるようにと元の場所から移動して建てたそうです。
これは、天守で掃除をしていたおばさんに教えてもらいました。
このとき教えてもらっていなければ、もとあった石垣も気づかずに下山していたかもしてません。
天守からの眺めはとてもいいです。
空気が澄んだ季節なら遠く四国まで見ることが出来ると思います。
でも、吉川広家はどうして錦帯橋が見えるこの位置に最初から築城しなかったのかな?
あ、その時はまだ錦帯橋はできていなかったですね(^^ゞ
広家は山陽道を監視するためにここに城を建てたそうです。
錦帯橋が架かる横川が自然の堀の役目をして防御になります。
その横川から城のある山を挟んで反対側には山陽道がありました。
山陽道から敵が攻めてくるのを監視するために城の位置を決めたそうです。
と、これも掃除のおばさんが教えてくれました。
岩国の人は親切ですね~
ありがとう。
おいでませ、岩国へ、です。
POI
(現在はロープウェイで登ることができます)
岩国は本藩である毛利家の長州藩から支藩と認められなかったため、独立した藩ではありませんでした。
そのため、徳川幕府の一国一城制により築城後わずか8年で取り壊されててしまいます。
現在の天守は、昭和37年に再建されたもので、実際にあった場所から数十メートル移動した位置に建てられています。
元の場所には当時の石積み技術のままで石垣が修復されています。
昭和37年、この城を再建するときに錦帯橋がよく見えるようにと元の場所から移動して建てたそうです。
これは、天守で掃除をしていたおばさんに教えてもらいました。
このとき教えてもらっていなければ、もとあった石垣も気づかずに下山していたかもしてません。
天守からの眺めはとてもいいです。
空気が澄んだ季節なら遠く四国まで見ることが出来ると思います。
でも、吉川広家はどうして錦帯橋が見えるこの位置に最初から築城しなかったのかな?
あ、その時はまだ錦帯橋はできていなかったですね(^^ゞ
広家は山陽道を監視するためにここに城を建てたそうです。
錦帯橋が架かる横川が自然の堀の役目をして防御になります。
その横川から城のある山を挟んで反対側には山陽道がありました。
山陽道から敵が攻めてくるのを監視するために城の位置を決めたそうです。
と、これも掃除のおばさんが教えてくれました。
岩国の人は親切ですね~
ありがとう。
おいでませ、岩国へ、です。
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