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堀川橋のたもとにある神社の社殿はコンクリート造り
Category:神社
堀川運河にかかる石橋「堀川橋」のたもとに神社が見えました。
通称「乙姫神社」とよばれる「吾平津(あびらつ)神社」です。
吾平津(あびらつ)?
遠い昔、油津は、「吾平津」と呼んでいて、のちに「あびらつ」が「あぶら」となまったという説があるそうです。
日本書紀に「日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に葬りまつる」という記述があるそうで、吾平山上陵というのは油津山上のことではないかとも。
油津に近い飫肥藩が油津山上に砲台を築こうとしたところ、大石で囲った2ヵ所の廓室から鏡や玉、太刀などが発掘されたと記録されているそうです。
もしかしたら油津は神話のふるさと宮崎の中心だったのでしょうか?
二の鳥居と三の鳥居の間に立派な御神木がありました。
「おがたまの木」です。
天照大神が天岩戸に隠れた時に天鈿女命(あめのうずめのみこと)がこの木の枝を手にして面白い踊りをしたことで有名な木です。
それにしても大きなおがたまの木です。高千穂の岩戸神社で見たものより数倍の大きさです。
こんな大きな御神木があるからには由緒ある神社なんだろうと調べたら、なんと和銅2年(709年)の創建だそうです。
そんな由緒ある神社の本殿へ。
立派。
でもなんか違和感。
なんと本殿はコンクリート造り。
由緒ある神社なので木造とばかり思っていましたが、台風被害から守るためにコンクリートにしているそうです。
このコンクリートで守られているご祭神は吾平津昆売命(あひらつめのみこと)で宮崎神宮のご祭神 神武天皇の妃です。
神武天皇といえば宮崎県の美々津(みみつ)から大和の国に東征した初代天皇です。
東征の時、吾平津昆売命は同行せずこの地で成功をお祈りしたのだとか。
もしかしたら日本最初の単身赴任だったのかも(^^;
POI
通称「乙姫神社」とよばれる「吾平津(あびらつ)神社」です。
吾平津(あびらつ)?
遠い昔、油津は、「吾平津」と呼んでいて、のちに「あびらつ」が「あぶら」となまったという説があるそうです。
日本書紀に「日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に葬りまつる」という記述があるそうで、吾平山上陵というのは油津山上のことではないかとも。
油津に近い飫肥藩が油津山上に砲台を築こうとしたところ、大石で囲った2ヵ所の廓室から鏡や玉、太刀などが発掘されたと記録されているそうです。
もしかしたら油津は神話のふるさと宮崎の中心だったのでしょうか?
二の鳥居と三の鳥居の間に立派な御神木がありました。
「おがたまの木」です。
天照大神が天岩戸に隠れた時に天鈿女命(あめのうずめのみこと)がこの木の枝を手にして面白い踊りをしたことで有名な木です。
それにしても大きなおがたまの木です。高千穂の岩戸神社で見たものより数倍の大きさです。
こんな大きな御神木があるからには由緒ある神社なんだろうと調べたら、なんと和銅2年(709年)の創建だそうです。
そんな由緒ある神社の本殿へ。
立派。
でもなんか違和感。
なんと本殿はコンクリート造り。
由緒ある神社なので木造とばかり思っていましたが、台風被害から守るためにコンクリートにしているそうです。
このコンクリートで守られているご祭神は吾平津昆売命(あひらつめのみこと)で宮崎神宮のご祭神 神武天皇の妃です。
神武天皇といえば宮崎県の美々津(みみつ)から大和の国に東征した初代天皇です。
東征の時、吾平津昆売命は同行せずこの地で成功をお祈りしたのだとか。
もしかしたら日本最初の単身赴任だったのかも(^^;
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