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天草四郎メモリアルホールにあった四郎の像と墓
Category:天草諸島
上天草市大矢野に「天草四郎メモリアルホール」があります。
ここは天草四郎の真の姿とキリシタンの熱き思いを今に伝える体験的テーマ館で、「天草・島原の乱」の歴史的背景や南蛮文化の影響を受けた当時の模様を資料と映像によりわかりやすく紹介されている施設です。
建物の裏の小高い丘には天草四郎の像が立っています。
昨日紹介した天草パールセンターの四郎像とはまた表情が異なるのもです。
そしてこの四郎像のそばには天草にあったいくつかの江戸期のものと思われるキリシタンの墓が移設されています。
墓に眠るキリシタンは自然死だったのでしょうか?それとも迫害で命を落としたのでしょうか?
いずれにしてもパライゾに行ったのは間違いないでしょうね。
メモリアルホールがある大矢野は天草四郎の出生地とされています。
なぜかというと、昭和59年(1984年)にこの地で江戸前期の豪農の住居跡が発見され、出土品や肥後細川家の史料などを調査した結果、益田甚兵衛の住居である確率が極めて高いとされたからです。
その益田甚兵衛の子供が益田四郎時貞、すなわち天草四郎なのです。
天草四郎は若干16歳でキリシタン軍(一揆軍)の総大将として、島原の原城址でその生涯を終えます。
その四郎の墓が像のそばにありました。
実際の墓ではなく、この地で生まれたから慰霊碑のようなものなのでしょう。
若干16歳の天草四郎、彼はどうやって37,000人とも言われる一揆軍をまとめていたんでしょうね。
伝説と謎に包まれた天草四郎、自由と平和を求め戦った壮大なロマンがここを訪れると蘇ってきます。
ここを訪れて天草四郎にふれ自由をもとめて戦った天草・島原のキリシタンの歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
POI
ここは天草四郎の真の姿とキリシタンの熱き思いを今に伝える体験的テーマ館で、「天草・島原の乱」の歴史的背景や南蛮文化の影響を受けた当時の模様を資料と映像によりわかりやすく紹介されている施設です。
建物の裏の小高い丘には天草四郎の像が立っています。
昨日紹介した天草パールセンターの四郎像とはまた表情が異なるのもです。
そしてこの四郎像のそばには天草にあったいくつかの江戸期のものと思われるキリシタンの墓が移設されています。
墓に眠るキリシタンは自然死だったのでしょうか?それとも迫害で命を落としたのでしょうか?
いずれにしてもパライゾに行ったのは間違いないでしょうね。
メモリアルホールがある大矢野は天草四郎の出生地とされています。
なぜかというと、昭和59年(1984年)にこの地で江戸前期の豪農の住居跡が発見され、出土品や肥後細川家の史料などを調査した結果、益田甚兵衛の住居である確率が極めて高いとされたからです。
その益田甚兵衛の子供が益田四郎時貞、すなわち天草四郎なのです。
天草四郎は若干16歳でキリシタン軍(一揆軍)の総大将として、島原の原城址でその生涯を終えます。
その四郎の墓が像のそばにありました。
実際の墓ではなく、この地で生まれたから慰霊碑のようなものなのでしょう。
若干16歳の天草四郎、彼はどうやって37,000人とも言われる一揆軍をまとめていたんでしょうね。
伝説と謎に包まれた天草四郎、自由と平和を求め戦った壮大なロマンがここを訪れると蘇ってきます。
ここを訪れて天草四郎にふれ自由をもとめて戦った天草・島原のキリシタンの歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
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