重光葵旧宅@大分県杵築市

突然ですが、「重光 葵」って知ってますか?
「葵」は“あおい”と読むのではなく“まもる”と読みます。

「しげみつ まもる」、第二次世界大戦時代の日本の外交官で政治家です。
降伏文書調印式で、外務大臣だった重光葵が戦艦ミズーリ号の 艦上で文書にサインしました。

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重光葵旧宅に展示されている降伏文書のレプリカ

この重光葵は大分県出身です。
ちなみに重光の下にサインしている梅津 美治郎(うめづ よしじろう)も大分県の出身です。
おんせん県おおいた、すごい人を輩出しているなぁ(^^)

重光の生まれは豊後大野市で、3歳の時から杵築市に移住しました。
その旧宅が杵築市に今も残っています。

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杵築高等小学校に通い、旧制杵築中学を首席で卒業と少年期のほとんどを杵築で過ごしました。
旧宅は「無迹庵(むせきあん)」と名付けられていて、「名前の誇れるような足跡や実績がない」という意味だそうです。
いやいや、すごい外交官として名前が残っています。

旧宅には重光葵の遺品などが展示されています。
蔵の2階で勉強に励んだという勉強部屋も当時のままです。

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ここで勉強して熊本の第五高等学校(今の熊本大学)から東京帝国大学へ進み外務省へ入省しました。
戦後は鳩山内閣の副総理と外務大臣を兼任しましたが、1957年69歳という若さで神奈川県湯河原の別邸で急逝しました。

実は僕、ある時期、杵築市の住民でした。
さらにこの重光旧宅の近くに住んでいましたが、存在を知りませんでした。
当時はまだ重光葵の親族が実際に住んでいたからしょうがないちゃしょうがないのですが・・・・。

受付の係りの人によれば、昨年外務省から団体でこの旧宅に訪れたそうです。
政府から出張で杵築市に来た人も必ず訪問するとか。
みなさん、重光葵のことを学んで日本の国をうまく動かしてほしいですね。

『最近の国家公務員はどげえなっちょんのか』、って重光葵の声が聞こえてきそうです・・・。
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[ 2016/08/08 06:49 ] 大分 | TB(0) | CM(2)
重光 葵さんのゆかり拝見できてうれしかったです。
九州旅行より前に近場の遠出にいけそうです。
道は遠いいですが、拝見してるとできそうな気になります。
がんばります!
[ 2016/08/08 12:55 ] [ 編集 ]
hippoponさんへ
こんにちは。
近場もいいですが是非遠出も楽しんでください。
[ 2016/08/08 17:51 ] [ 編集 ]
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