口之津歴史民俗資料館

天草の鬼池港から長崎県南島原市口之津の口之津港に入港すると、港の入り口に「口之津歴史民俗資料館」があります。

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司馬遼太郎の「街道をゆく 17 島原半島 天草の諸島」の中に、

「船が口之津港を出てゆくとき、岬の突端にある旧税関の茶色っぽい建物が風景によく適っていた。朽ちくずれるままに放置するよりも、大蔵省から町に払い下げてもらって、こんにちまでの口之津のすべてを語る博物館にすればどうだろうと思ったりした。」

という一節があります(司馬遼太郎は私と反対方向、口之津から鬼池にフェリーを利用したようです)
この司馬遼太郎の考えを参考にしたのかどうか分からないけど現在、資料館になっています。

この資料館に入ると、石炭を運んでいた小船が展示されています
この小舟は、福岡県にある三池炭鉱から産出された石炭を大牟田港から運んだ団平船[だんべいせん]と呼ばれるもので、口之津港で石炭を大型船に積み替える作業風景の再現展示です。

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三池炭鉱から産出された石炭を当時の大牟田港で大型船で積み出すのは困難でした。
なぜなら、有明海は遠浅で干満の潮位差が最大5.5mもあるため、大型船の入港が困難だったからです。
そのため、石炭をこのような小船で大牟田川の河口から口之津港までのおよそ70kmの海上を運搬していました。

この舟の近くに掲示されていた「石炭積み」、そこには「ごへだづみ」と読みが書かれています。
石炭のことを発見者の名にちなんだ「ごへだ」と呼んでいたようです。

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団平船の上に置かれた藁の容器に入れられた石炭を、大型船の船べりに架けられた梯子に多くの人夫が立ち、リレー式に石炭を船に運び上げてたそうです。

手作業では「ヤンチョイヤンチョイ」とメガホンを持つ人が掛声をかけながら石炭を積み込んでいたのですね。
最盛期には、その人夫は1,500名を超えたといわれ、町は発展し口之津の人口は1万人を超えていたそうです。

しかし、大牟田に大型船が接岸できる港が出来ると口之津の役目は終わり、徐々に衰退していくのです。

この口之津からは石炭以外にも海外へ送られたものがありました。
それは・・また明日。
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[ 2015/06/18 07:05 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)
No title
石炭の町が日本には各所にたくさんあったんですね。

石炭の他に運び出されたもの?
なんだろう??
美味しいものかな?^m^
[ 2015/06/18 15:18 ] [ 編集 ]
Re: No title
九州の炭鉱町は炭鉱が閉山されてもなんとかやっていっていますが、夕張は悲惨ですね。

石炭の積み出しの他に・・・美味しくはないんです(>_<)
[ 2015/06/18 17:19 ] [ 編集 ]
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