大浦天主堂

「ワレラノムネ(宗)アナタノムネトオナジ」

幕末、ペリーの開国要求と共に日米和親条約を結ぶと、その後、ロシアやフランスなどとも和親条約を結びます。
そのころになると、フランスから来たプティジャン神父が長崎に来て大浦天主堂の建立に尽力しました。

大浦天主堂は1864年に完成し翌年の2月から公開されるようになります。
その建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと、ものめずらしさもあって付近の住民たちが多数見物に訪れたそうです。

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そんななか、1865年3月17日、長崎の浦上から十数名の住民がが天主堂を訪れます。
そのうちの一人の中年の女性がプティジャン神父に近づき、冒頭の言葉を発するのです。

「ワレラノムネ(宗)アナタノムネトオナジ」

「私共は神父様と同じ心であります」とささやき、自分たちがカトリック教徒であることを告白するのです。

彼らは聖母像があること、神父が独身であることから「フランス寺」が間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた、いわゆる隠れキリシタンである事実を話しました。

その後、プティジャン神父はまだ他に隠れた信者がいると信じて発見に努め、他の地域で信仰している多くの隠れキリシタンを発見するのです。
この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされ、教皇は、これを「東洋の奇蹟」と呼んだそうです。

ただ、明治初期までキリスト教は禁教で、この長崎で発見された多くのキリシタンはその後、津和野などへ流罪になり拷問を受けたのです。

そんな歴史のある大浦天主堂は、現存する日本最古の教会で、1953年(昭和28年)に国宝に指定されました。

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また、今年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に係る推薦書(正式版)がユネスコ世界遺産センターへ提出されました。

天草島原の乱から3百数十年後の今日、このようにキリスト関連施設が世界遺産の候補に挙がったことを当時のキリシタンはどのように感じるのかなぁ?
そして明治になっても沢山のキリシタンが迫害を受けたことを、世界遺産に推薦され、登録されても忘れてはいけないと思います。
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[ 2015/06/08 07:06 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)
No title
こんにちは♪
ここ、、高校の修学旅行で行きました!
ほかのところはほとんど
記憶にないのですが
なぜかこの大浦天主堂は印象に残っています。
[ 2015/06/08 13:42 ] [ 編集 ]
Re: No title
こんにちは、修学旅行で訪問されたんですね。
九州の高校の修学旅行は、長野でスキーした後ディズニーランドとかのコースが多いから、長崎というのは渋いですね(^^)
ハウステンボスとかも行かれたのかなぁ・
世界遺産に登録されたらまた訪問してみてください。
[ 2015/06/08 17:13 ] [ 編集 ]
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