萩が生んだ偉人

萩が生んだ偉人といえば、吉田松陰ですね。
「親思ふ心に まさる親心けふの音づれ何ときくらん」

その吉田松陰の影響を最も受けたのが、高杉晋作です。

IMG_7898 (427x640)

その高杉晋作の誕生地があり、見学しました。

IMG_7903 (427x640)

IMG_7905 (640x427)

師である吉田松陰が処刑された後、討幕運動を続けるのですが大政奉還を見ずして肺結核のため27歳でこの世を去った高杉晋作、さぞかし無念だったでしょう。

高杉晋作は若くして亡くなりましたが、まだ松下村塾の塾生で尊王攘夷派の中心人物となった人物がいました。
それが剣豪といわれた桂小五郎、のちに改名して木戸 孝允 を名乗ります。
その木戸の誕生地も萩にあります。

IMG_7894 (640x427)

しかし彼も志半ばに43歳で病死してしまいます。
最期に発した言葉が「西郷もいいかげんにしないか」と、西南の役を起こした西郷隆盛を案じていたようです。

そして、萩から生まれた総理大臣。
山県有朋と田中義一です。
この田中義一というのは、昭和2年に総理大臣に就任、普通選挙による最初の総選挙を実施した方です。
その田中義一の誕生地に石碑が立っていました。

IMG_7912 (427x640)


散策中ボランティアガイドさんの話が聞こえてきました、ガイドさんの説明では
田中家は武家でしたが、「かごかき」という身分で武士とはいえとても貧乏な暮らしをしていたそうで、生活のために、時代劇でよくある、傘貼りの内職もしていたらしい。
ということでした。
幼少時にそういう境遇で育ったけど、苦労をして総理大臣になったのですね。

IMG_7909 (640x427)

ボランティアガイドさんの話では、田中義一が狭心症でなくなる前に昭和天皇から叱責されたそうです。
昭和天皇は、田中を叱責したことが内閣総辞職につながったばかりか、死に追いやる結果にもなったかも知れないということに責任を感じ、その後は一切、政府の方針に不満があっても口を挟まないことを決意したそうです。

そのこともあって、大きな戦争に向っていったのでしょうか?

今の総理大臣は同じ山口県の出身、「花燃ゆ」はNHK会長が総理大臣に気を使って無理やり山口を舞台にした大河にしようとしたとかいう話もありますが・・・・。

ここは一発、今上天皇から総理に喝を入れて、あまり調子に乗って戦争とかできる国にしないように、と言ってほしいです。
POI
スポンサーサイト
[ 2015/04/12 07:10 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL