巌流島

武蔵と小次郎が戦ったという巌流島。
ここ巌流島へは下関の唐戸からと門司港レトロから出ている船で行けます。
およそ10分の航海です。

島にある案内板に下記のように書かれています。

正式名称は、船島です。(下関市大字彦島字船島)
島の面積は埋め立て部分を含めると十万三千平方メートルの広さです。
慶長十七年(一六一二年)四月三十日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことは、あまりにも有名です。「二天記」によると、巳の刻過(午前十時)武蔵が到着。待ちくたびれた小次郎との間で決闘が始まりました。武蔵の木刀は振り下ろされ、頭上を打ちました。小次郎もまた太刀を払いましたが、武蔵の木刀は小次郎の脇腹に振り下され、勝敗は決しました。勝った武蔵も相当慌てていたらしく、とどめをさすのも忘れ、船に飛乗ったということです。負けた小次郎の流派にちなんで、巌流島と呼ばれるようになりました。


どうして敗れた小次郎の流派「巌流」が島の名前になったのでしょう?不思議です。

巌流島5


島には、朽ち果てた「伝馬船」が置いてあります。
宮本武蔵はこんな伝馬船で下関から巌流島に渡ったんでしょうね。

巌流島3


佐々木小次郎を祀る塚がありました。
幕末期までは小次郎の墓があったそうですが、この塚は明治になって立てられたものだそうです。

巌流島4


ただ、どうして戦いに負けた小次郎の流派、「巌流」が島の名前に残っているのでしょう?
勝った武蔵の名前がつけられてもよかったと思うのですが。
謎ですね。
こんな説があります。
実は小次郎は隠れキリシタンであったため成敗されたというのです。そして小次郎の祟り(キリシタンの祟り)を恐れて、船島と呼ばれていた島を、「巌流島」にしたとか。

謎の多い「巌流島の決闘」、歴史のロマンを感じますね。

ちなみに、宮本武蔵は「島原の乱」に参戦し、キリシタン天草四郎の反乱軍と戦い大怪我をしました。
もしかしたら、佐々木小次郎の祟りだったのかも(^^♪。
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[ 2017/03/23 06:52 ] 旅行 | TB(0) | CM(4)
アタシ、遅れてきた武蔵を卑怯だと思うのですよ。
そう思う人が多いから、巌流島と命名されたのかなあ、な~んて思っちゃいました☆

歴史、あれこれ思いをはせるのがロマンですね~☆
[ 2017/03/23 10:07 ] [ 編集 ]
きたあかりさんへ
遅れてきたのが事実かどうか分からないですが、武蔵は策士だったんでしょうね。

ゆかりの地を訪れていろいろ当時の情景を想像するのも旅の楽しみの一つです。
[ 2017/03/23 20:40 ] [ 編集 ]
歴史も奥が深いですね~
すべてが事実だとはかぎらない
推測からも作り上げてられて・・・

現実的に証拠がないものは・・・
夢も大切ですし
想像するのも、楽しいし
[ 2017/03/24 17:01 ] [ 編集 ]
ココモカさんへ
こんばんは。
史実っていうけどその場に居たわけではないから推測もありますよね。
でも想像するのにロマンがあっていいですよね。
[ 2017/03/24 20:54 ] [ 編集 ]
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