出光佐三が結婚式を挙げた甲宗神社

海賊とよばれた男のモデル「出光佐三」が出光商会を設立した門司港。
この門司港に佐三が結婚式を挙げた神社があります。

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それが甲宗八幡神社で創建は1200年近く前の西暦860年、清和天皇によると伝えられています。
すごく歴史のある神社です。

ここで大正15年6月に佐三は結婚式を挙げたそうです。
神社に佐三は沢山の寄進をし鳥居もその一つ。

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鳥居の額に書かれた「甲宗八幡宮」という文字は佐三の直筆だそうです。

甲宗八幡の「甲宗 」の由来は、神功皇后が朝鮮半島に出兵した三韓征伐(さんかんせいばつ)の際に着用したとされる甲が御神体だからだそうです。
その御神体は50年に一度しか拝観できません。次回は2058年、見ることはできないなぁ(^^;

そんな歴史がある甲宗神社の社殿は新しいです。

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第二次大戦で焼失したので、1962年(昭和37年)に再建されたものです。

参拝した時に車祓いが行なわれていました。

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ゴミ収集車のようですが、交通安全はもちろん、作業中の無事、身の安全、機械の故障が無いよう祈願しているんでしょうね。
先日宮崎神宮を参拝した際は現金輸送車が御祓いを受けていました。
商用車というのはどれもお祓いをするんでしょうね。

この御祓いを見ていたら、なにやら神社背後の山でガサゴソ。

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イノシシでした。

門司港は北九州市。
北九州市といえば都会のように思えますが、イノシシも生息しているいすんですね。驚きました。

このイノシシの祖先は、佐三が結婚式を挙げているときに裏山で見守っていたのかなぁ。
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[ 2017/03/31 06:30 ] 神社 | TB(0) | CM(4)

出光美術館(門司)隣接の出光創業史料室

北九州市の門司港レトロに出光美術館があります。

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出光興産発祥の地「門司港」に建つレンガ調の外壁の美術館で、、出光佐三が集めた美術品などが展示されています。
この美術館に隣接しているのが出光興産の歴史を展示した出光創業史料室です。

出光佐三は出光興産を創業し、小説『海賊とよばれた男』のモデルです。

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史料室と“室”となっていますが、いやいやりっぱなもので『史料館』と呼んでもいいと思う規模です。
美術館に入場すれば無料で見学できるようですが、この史料室のみの見学は100円です。
500円はとってもいいんじゃないかと思うくらいの内容です。

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入室して最初の展示が存在感のある机。この机は佐三が実際に使用していたというものです。
そして、『海賊とよばれた男』のなかで使用された机は撮影スタッフがこの机を採寸しレプリカを作製したものだそうです。

映像や模型で出光興産の歴史、出光佐三という人物を知ることができます。

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佐三が創業した出光商会(出光興産の創業時の社名)当時の法被も。

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この法被も映画の中の衣装のモデルとなっています。

いろいろな展示物が目をひく史料室です。
本当に100円は安い!
門司港レトロの駐車場のすぐ近くなので、おススメです。
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[ 2017/03/30 06:41 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

錦帯橋と佐々木小次郎

山口県岩国市にある錦帯橋の近くに「佐々木小次郎」の像がありました。

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でもどうしてここに?
“佐々木小次郎が錦帯橋で柳の枝が燕を打つのを見て、「燕返し」の術を得た”
という説からここに像があるようです。

でも、錦帯橋が出来たのは、あの有名な巌流島の戦いから50年以上も経ってからなんですよね(^^;

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美しい錦帯橋です。

1673年、岩国第三代藩主の吉川広嘉が最初に錦帯橋を架けました。

最初の橋は完成した翌年に流出しましたがすぐ再建され、その後1950年9月の台風による洪水で流失するまで276年の間、架替えを繰り返しながら威容を保った橋です。
1950年の流出のあと鉄筋コンクリートで再建という意見もあったそうですが、市民の強い要望で1953年に木造の錦帯橋として再建されました。

佐々木小次郎と錦帯橋の描写は「宮本武蔵」を書いた吉川英治の創作のようです。
佐々木小次郎の像のそばにある碑には、

“祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名を小次郎と親からもらい、また 剣名を”巌流”とも呼ぶ人間は、かくいう私であるが・・・”
と、吉川英治の小説「宮本武蔵」の一節が書かれていました。
 
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どうして吉川英治は佐々木小次郎と錦帯橋を結び付けたんでしょう?
もしかしたら、錦帯橋を造ったのが岩国城主の吉川氏であったので、同じ苗字にひかれてここを舞台にしたのか?
天国にいる本人に聞いてみたいです。
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[ 2017/03/29 06:31 ] 旅行 | TB(0) | CM(0)

皇居といえば二重橋

皇居といえば、
♪ここが ここが二重橋 記念の写真を撮りましょうね♪
の二重橋。

僕はず~っと長い間ここが二重橋と思っていました。

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でも本当は違うんだって。
この眼鏡橋の奥にある鉄製の橋が本来の二重橋なんだそうです。

でも、記念撮影するにはこの橋を背景にするわけで、島倉千代子の歌った歌詞も間違い?

Wikiさんに聞いたところ
“宮内庁や環境省等においては「二重橋」は正門鉄橋のことをさすとしながらも、2つの橋の総称としても用いられるとの二つの説明をしている。”

ということで、全く間違いでもなさそうです。
ま、分けわかんないけど東京観光の名所のひとつですね。

ややこしいといえば「桜田門」
桜田門といえば「桜田門外の変」

でも、桜田門って二箇所あるんですよ。どっち?

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上が“内桜田門”、したが“外桜田門”のようです。

でも『桜田門外の変』って“外”のついている場所が違うし・・・・。
ややこしい。

外桜田門のそばには高麗門と呼ばれる、これまた桜田門があるんです。

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どうもこの門の外で事件は起こったようです。

ん~いろいろ勉強になった皇居散策でした。
日枝神社から歩き出し、国会議事堂、武道館、東御苑、二重橋、桜田門、そして赤坂のホテルと17000歩も歩きました。革靴で(^^;
もうしばらくはいいかな東京見物。
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[ 2017/03/28 06:33 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

皇居東御苑をブラブラ

大きな玉ねぎを見た後に九段下から地下鉄に乗って溜池山王まで行こうと思ったけど、せっかくだからと皇居東御苑へ。
北桔橋門(きたはねばしもん)から入場しました。

そして最初に見えたのが、天守台。

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残念ながら天守は1657年に発生した「振袖火事」といわれる“明暦の大火”で全焼してしまって再建されていません。
どんな天守があったんでしょうね。

再建されなかった理由は幕府重臣の保科正之が
『戦国の世の象徴ともいえる天守閣はもはや時代遅れ、物見のためだけにしか用をなさず、むしろそれよりも江戸城に蓄えられた金銀は城下の復興に優先して使うべき』
と提言したからとされているそうです。
こんな政治家が今も居たら・・・と考えさせられました。

浅野殿、殿中でござる~

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忠臣蔵。
赤穂藩主 浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた場所です。
この場所に立派な廊下があったんだぁ。

そこからさらに進むと、石室とか富士見多聞とかが途中にあって櫓がありました。

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富士見櫓です。
天守閣が大火で焼失した後はこの櫓が天守閣に代用されたと伝えられていて、江戸城本丸の遺構として貴重なものといわれています。
将軍はここから品川の海や富士山を見ていたとか。

この櫓から東御苑出入り口の一つ「大手門」は近くです。
大手門の近くには番所がありました。

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同心が常時100人詰めていたところから『百人番所』と呼ばれるようになったといわれる建物で、全長50メートルあるそうです。
曲者が現れたら「であえ~、であえ~」って大騒ぎだったんでしょうね。

大手門入り口近くにも番所が。

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大手門は江戸城の正門だったのでここから大名が入城しました。その城に入ろうとする大名の監視を行なったのが番所の役目だったそうです。

暴れん坊将軍も番所の前を通って城下に出向いていたのかなあ(^^;
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[ 2017/03/27 06:37 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

澄んだ空に光る大きなたまねぎ

日枝神社に参拝後、最近国会が騒がしいからというわけでもないけど国会議事堂へぶらぶら。

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裏側
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表側

議事堂を見て思ったのは、日枝神社が戦争で焼失したのに無事だったのはどうして?ということ。
1kmくらいしか、いや、1kmも離れているから戦渦に巻き込まれなかったのかなぁ?

とか考えていたら、アメリカの「空襲を行うべきでない日本の目標」についての研究では皇居や大学施設そして捕虜収容所などがあったということだから、皇居に近かい議事堂は無事だったのか、と勝手に結論を出しました。

ということを考えていたら自然と皇居のお堀のほうへ向かう自分がいる(笑)

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半蔵門

かたく閉ざされた半蔵門を背にする桜はまだつぼみも膨らんでもいませんでしたが、あれから一週間、そろそろ咲き始める頃?

ここまでくるとやはり「玉ねぎ」でしょう。唐突にですが(^^♪
ということでまた延々と歩いて武道館へ。

半蔵門から2km弱、玉ねぎに到着です。
それにしてもスーツ姿でしかも革靴でよく歩きました。

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青い空に木の間から覗く玉ねぎ。
♪澄んだ空に光るたまねぎ~♪
ってついつい歌ってしまいました(^^♪

ここを訪れたのは3月22日で武道館では専修大学の卒業式が行なわれる日でした。
卒業生、家族で人・人・人

♪九段下へ向かう人の波♪を「武道館へ向かう人の波」と替え歌にして歌いながら歩いていたら・・・

歩道に立っていた会場を案内するスタッフに、
「本日はおめでとうございます」
って声をかけられたBBでした(^^♪
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[ 2017/03/26 06:45 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

初めての日枝神社

東京出張時に宿泊したのがキャピトル東急で、部屋からなにやら神社が・・・。
なにやらって・・?日枝神社っていうのは知っているのですが真上から見るのは初めてです。名門都立日比谷高校も見えます。

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赤坂にある本社に通勤していたり、出張で何度も訪れている赤坂なのに実は日枝神社に一度も参拝したことがありませんでした。
ということで、ホテルから徒歩2分、行ってみることに。

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この神社は、大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀っているそうです。
っていうか知らない神様ばかりだ。

「大山咋神」は山の神様だそうです。

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創建年代はよく分かっていないようですが、600年ほど前の文明10年(1478年)に太田道灌が江戸城築城の際、川越の無量寿寺の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まりだそうです。
お寺の鎮守??この時代は神仏習合でしたね。

社殿は新しく、東京の空襲で焼失したため新しく建てられたもののようです。
青空を背景に美しい姿ですね。

この社殿の右側に小さな神社がありました。

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ここは後で知ったのですが日枝神社の隠れパワースポットだそうです。
日枝神社の 末社で「山王稲荷神社」と「猿田彦神社」だとか。

仕事運や道ひらきに御利益があるそうです。猿田彦神だからでしょうね。

祀られている神様と御利益を後で知ったのでお参りを適当にしてしまったことを後悔。

実はこの末社を見たとき、女性の方だけがお参りしていて(男性は0)、もしかしたら安産とかそういうのに関係する神様が祀られていると勝手に思い参拝を割愛したのです。

次回、赤坂に出張の時はちゃんとお参りしようと思います。
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[ 2017/03/25 06:37 ] 神社 | TB(0) | CM(8)

新宿新都心が一望できました

出張で上京しました。
21日の初日はあいにくの雨でホテルからの眺めはイマイチだったのですが、翌日は強風で雲も吹き飛んだのかよく晴れて新宿副都心が一望でした。

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夜景はもっと綺麗だったんだろうなぁ。

前日の景色はこんな感じでどんより。

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ホテルの部屋から赤坂通りのほうを見るとTBS放送センターが見えます。

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TBSのビルは別名ビッグハット。
天気が悪くてビッグハットの照明の色が見えなかったのが残念。
この照明の色で翌日の天気が分かるんですよね。
オレンジ色は晴れ、白は曇り、青は雨、というふううに。

翌日は晴れ渡っていたから、この時の照明はオレンジ色だったんだろうなぁ。
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[ 2017/03/24 06:28 ] 未分類 | TB(0) | CM(10)

巌流島

武蔵と小次郎が戦ったという巌流島。
ここ巌流島へは下関の唐戸からと門司港レトロから出ている船で行けます。
およそ10分の航海です。

島にある案内板に下記のように書かれています。

正式名称は、船島です。(下関市大字彦島字船島)
島の面積は埋め立て部分を含めると十万三千平方メートルの広さです。
慶長十七年(一六一二年)四月三十日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことは、あまりにも有名です。「二天記」によると、巳の刻過(午前十時)武蔵が到着。待ちくたびれた小次郎との間で決闘が始まりました。武蔵の木刀は振り下ろされ、頭上を打ちました。小次郎もまた太刀を払いましたが、武蔵の木刀は小次郎の脇腹に振り下され、勝敗は決しました。勝った武蔵も相当慌てていたらしく、とどめをさすのも忘れ、船に飛乗ったということです。負けた小次郎の流派にちなんで、巌流島と呼ばれるようになりました。


どうして敗れた小次郎の流派「巌流」が島の名前になったのでしょう?不思議です。

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島には、朽ち果てた「伝馬船」が置いてあります。
宮本武蔵はこんな伝馬船で下関から巌流島に渡ったんでしょうね。

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佐々木小次郎を祀る塚がありました。
幕末期までは小次郎の墓があったそうですが、この塚は明治になって立てられたものだそうです。

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ただ、どうして戦いに負けた小次郎の流派、「巌流」が島の名前に残っているのでしょう?
勝った武蔵の名前がつけられてもよかったと思うのですが。
謎ですね。
こんな説があります。
実は小次郎は隠れキリシタンであったため成敗されたというのです。そして小次郎の祟り(キリシタンの祟り)を恐れて、船島と呼ばれていた島を、「巌流島」にしたとか。

謎の多い「巌流島の決闘」、歴史のロマンを感じますね。

ちなみに、宮本武蔵は「島原の乱」に参戦し、キリシタン天草四郎の反乱軍と戦い大怪我をしました。
もしかしたら、佐々木小次郎の祟りだったのかも(^^♪。
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[ 2017/03/23 06:52 ] 旅行 | TB(0) | CM(4)

宮本武蔵を読み終えた

吉川 英治の「宮本武蔵」、“地の巻”から始まって最後の“円明の巻”まで全7巻、読み終えました。

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いや~、面白かった。
色々な登場人物が行き違いになったり、生き別れになっていた家族が出会ったり。
どんどん宮本武蔵の世界に引き込まれていくので、読み始めてからTVを全く視ていません。
城太郎はどうなんるのか?お通は??伊織は???

そして最後はやはり、佐々木小次郎との対決。
この対決の場面では、その光景が目に浮かんできました。

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小次郎が物干し竿と呼ばれる刀を抜いて鞘を捨てる。その時、武蔵は「小次郎、敗れたり!」とさけぶ。
そして戦いが味まり、武蔵は舟を漕ぐ櫓で作った木刀で小次郎を一撃・・・。

この試合、武蔵は試合時刻に1時間ほど遅れてきたとか。

そして小次郎は「おそいぞ 武蔵!」って言ったんでしょうね。

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この御菓子は巌流焼きの姉妹菓子です。

っていっても関門地区以外の方は分からないでしょうね。
美味しいですよ。
でひ関門海峡に訪れた時はお土産にどうぞ。
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[ 2017/03/22 06:29 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)