福岡県柳川市を訪問

日本で生まれた力士が久しぶりに大相撲で優勝したというわけでもないですが、初場所で優勝した琴奨菊の出身地福岡県柳川市を金曜日に訪れました。

柳川市は「川下り」が有名ですが、「川下りでは縁起が悪い」と琴奨菊が大関に昇進した時は川を遡る「川上り」パレードが実施されたそうです。
その川下りの舟は平日の、それも大雨とあって行きかうこともなく川べりに係留されていました。

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ここ柳川は北原白秋が育った町としても有名で、生家も保存されていて記念館になっています。

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北原白秋は、昭和17年(1942年)11月2日に亡くなりました。 柳川市では、その白秋を偲ぶため、命日を挟んで3日間「白秋祭水上パレード」を行っています。そして盛大な花火も打ち上げられます。

花火といえば琴奨菊が勝利すると地元有志により花火が打ち上げられています。番付上位者に対して勝利した場合には2発、それ以外では1発。来場所は毎日花火が打ち上げられ、優勝して横綱に昇進するといいですね(^^)
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[ 2016/01/31 06:31 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

人吉城址

美人の湯といわれる人吉温泉、その人吉温泉がある熊本県人吉市にあるのが人吉城址です。

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建物の復元はされていないので何もないですが、石垣が当時の面影を物語っています。

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実はこの人吉城址、いままで何度も人吉を訪れているのに初めての訪問でした。
そして感じたのは、人吉球磨が、たかだか2万石余りの小さな国だったのに大きな城があったのだなぁと思うことです。

人吉球磨は四方が九州山地に囲まれているため、なかなか敵が攻めてこれなかったので、相良氏が、「相良700年」といわれるように長きにわたり統治しました。

明治になって城は廃城になりますが、西南戦争の舞台となります。
明治10年(1877)4月、熊本城攻略に失敗して人吉に敗走してきた西郷隆盛率いる薩摩軍が人吉城に立て篭もり、城内で弾薬の製造を行い、食料の調達や兵の休養がなされ、一ヵ月ほどは戦闘もなく静かな日々が続いたのです。

そして、「二年は大丈夫」、と豪語していたのですが、わずか数日の戦闘で人吉から追われたことになってしまったのです。

「相良700年」とは大きな違いです(^^;

その戦場となった城址は今は公園になっていて、二の丸からは球磨川と人吉市内が一望でします。る

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春は桜、秋は紅葉と訪れる人の目を楽しませてくれる人吉城址、もうすぐ春なので桜が満開のときにまた訪れたいと思います。
もちろん、人吉温泉と球磨焼酎セットで(^^)
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[ 2016/01/29 06:46 ] 未分類 | TB(0) | CM(6)

国宝青井阿蘇神社

熊本県人吉市にある、国宝青井阿蘇神社の紹介です。

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鳥居と楼門

楼門について司馬遼太郎は著書『街道を行く』の中で、
「人吉の町で驚いたのは、青井神社の桃山風の楼門だった。(中略)青井大明神という額を高くかかげたこの楼門は、京都あたりに残っている桃山風の建造物よりもさらに桃山ぶりのエッセンスをかんじさせる華やぎと豪宕さもっているのである」
と絶賛しています。 

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楼門

この神社は2008年に熊本県で初の国宝に認定され、茅葺の社寺建築では全国で初めてなんです。
貫禄がありますよね(^^)

楼門の軒下の隅には鬼面が何かを守るようにして嵌め込まれています。

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鬼面は、阿吽の形相をした陰陽一対の神面で四隅にあります。訪問したときは確認してみてください。
また天井には雌雄の龍が描かれていて、毎夜連れだって天井を抜け出し、神社正面の蓮池に水を飲みに行っていたという伝説が残っています。

この青井阿蘇神社は平安時代初期の806年に創建されましたが、現在ある社殿や楼門は人吉球磨を治めていた相良氏が1609年から4年の歳月を掛けて建造したものです。

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社殿


どの建物も茅葺屋根で、手入れされた茅葺はとても美しく、見ているだけで気持ちが癒されます。

祀られている神様は、初代の天皇 神武天皇の孫の健磐龍命(たけいわたつのみこと)、そしてその妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)と二神の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。

祀られている神様は由緒があり、建物は壮言な雰囲気があり、そして国宝。
でも地元の人は「青井さん」と親しみをこめて呼んでいます。

地元の人が毎朝、
「青井さん、今日も1日見守ってください」
と、気軽にお参りする神社なのです。
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[ 2016/01/28 06:57 ] 神社 | TB(0) | CM(0)

人吉駅前からくり時計

熊本県の人吉駅前に大きなからくり時計があり、これがとても楽しいのです。

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3月から10月までは、9時から18時まで、11月から2月までは、9時から17時までの毎時に作動し、作動時間は3分10秒です。
からくり時計の題は、「お祭りの日、相良の殿様、城下へ」。

時間になると、時刻を知らせる太鼓の音とともに、からくり時計が作動し、まず城の一階部分から熊本県の無形民俗文化財に指定されている「臼太鼓踊り」の踊り手に扮した人形が登場します。

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そして、臼太鼓の音に誘われて、殿様は城下見物をしたくなり、庄屋どんに扮して城下見物をすることにします。

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城下に降りてきた殿さまは、人吉温泉で汗を流します。

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汗を流した後は町屋に立ち寄り、相良乙女と球磨焼酎を楽しむのです。

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すっかりご機嫌になった殿さまは城に帰り、今日一日のできごとを想い「天晴れ」と城下を望むのでした。

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面白いでしょう(^^)

最後は全ての扉が開いて演技を見せてくれた人形達が現れます。

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「写真を撮るのならこの位置、人吉駅の文字も入るから」
と親切に教えてくれた拍子木を持つオジサン。ボランティアでからくり時計の案内をしているそうです(^^)

昨年、文化庁の「日本遺産」に選出された九州の小京都と呼ばれる人吉。
からくり時計を見学して、殿さまのように温泉につかって、その後は球磨焼酎でいい気分。
そんな人吉温泉の時間を過ごすのも良いですね。
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[ 2016/01/27 06:58 ] 未分類 | TB(0) | CM(10)

大分銘菓ざびえる

大分銘菓 「南蛮菓 ざびえる」知っていますか?

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箱がなんとも高級感があるんです。黒を基調に赤の線が入ったビロード風の触感の箱は昔から変わっていません。
50年以上にわたって愛されている大分を代表する銘菓ですが、じつは一度、灯が消えたことがあります。

「ざびえる」は最初、別府市で創業した長久堂が1962年から製造・販売していたのですが、2000年に自己破産してしまい、ザビエルの販売が途絶えたのです。しかし、お土産や、地元住民のお茶請けとして非常に人気があったため復活の要望が強く、それを受け長久堂の元従業員が「ざびえる本舗」という新会社を立ち上げて、2001年に製造・販売が再開され今に続いています。

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上三つがラムレーズン、下三つが白餡

黒地に金と銀がある個別包装で、金のものはラムレーズン、銀のものは白餡となっていてバター風味豊かな皮がそれらを包み込み、南蛮菓の名前にふさわしいお菓子に出来上がっています。
「ざびえる本舗」は「長久堂」の製造機械をほぼ受け継いだため味もそのまま、昔ながらの「ざびえる」です。

このお菓子が誕生したのは大分がフランシスコ・ザビエルと関係が深かったからです。1551年豊後の国の府内(今の大分市)を訪れたフランシスコ・ザビエルは、豊後の国を治めていた戦国大名大友宗麟の庇護を受け、キリスト教を広めると共に、小学校や病院を次々に建て、大分に南蛮文化の花を咲かせました。その功績を讃えて、和洋折衷のお菓子、「南蛮菓ざびえる」が誕生したのです。

長久堂には「瑠異沙(るいさ)」というお菓子も販売されていましたがこちらも人気があり、同じく「ざびえる本舗」で販売されています。
大分の南蛮菓を食べながら南蛮文化で反映していた大分に思いを馳せるのもいいですね(^^)
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[ 2016/01/26 06:50 ] 食べ物 | TB(0) | CM(8)

赤のトマトSio麺(豚骨) 

昨日のニュースでは鹿児島で積雪があって交通がマヒとか、福岡や長崎でも大雪と報道していましたが、熊本は天草や山間部など一部地域を除いて薄っすらと雪化粧する程度でして。

一番よく降ったのはお昼頃で、その雪の中、らーめんを食べに行きました。
店は先日チャーシューが丼の周りに所狭しと置かれている「ぐるっとチャーシュー麺」を食べた「灯かり」。
今回は「赤のトマトSio麺(豚骨)」をいただきました。

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「じっくり炊きだした豚骨スープにトマトの酸味がベストマッチ」とうたっているように、まさに濃厚だけどあっさり、スープは飲み干しても胃のもたれ感がないらーめんでした。

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トマトは熊本県産(玉名産)を使用しているのが嬉しいですね。麺は中太麺。
豚骨の濃厚さにまじったトマト味がイタリアンのような味わいで、麺が中太麺なのでパスタ料理を食べているように感じました。

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トッピングにパルメザンチーズ(50円)があるのもうなずけます。
ちょっとペペロンオイルをたらすともっと美味しさが増すように思うので、出来れば用意してほしいなぁ。

美味しいのに1日20食限定というのが残念です。
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[ 2016/01/25 06:54 ] 食べ物 | TB(0) | CM(5)

大分県 佐伯寿司海道

先週、所用で大分に行った時に、大分といえば「とり天定食」ではなく、寿司を食べました。

なぜなら行ったのが大分県佐伯市、世界一の寿司の町、佐伯。
豊後水道で水揚げされる豊富な魚介のネタにこだわった「佐伯寿司海道」の寿司なんです。

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美味しそうでしょう(^^)
佐伯市内には沢山の寿司屋がありますが、今回お邪魔したのは佐伯港に近い「錦寿司」です。

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ここは数人の寿司職人の声が飛び交う活気あふれる寿司屋で、ネタの大きさが評判の店です。

最初の写真でわかりますか、ネタの大きさ。

大きいです!ビッグです!それが評判を呼び、県内外から沢山のお客さんがやってきます。
大きすぎるのでほとんどの人が半分に切ってもらいます。初めてのお客さんには寿司職人が「半分に切りましょうか?」と親切に聞いてくれます(^^)

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ネタケースに豊後水道で獲れた新鮮なネタが並んでいて、おススメは写真にある「おまかせセット」、佐伯の地魚を盛り合わせた人気のメニューです。

エネルギッシュでサービス精神旺盛な錦寿司、心ゆくまで佐伯寿司を堪能できます。
まさに世界一の寿司です、また行きます。
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[ 2016/01/24 06:40 ] 食べ物 | TB(0) | CM(10)

阿蘇大橋

以前は「赤橋」と呼ばれていた阿蘇大橋。

熊本市内から阿蘇市方面に向かう国道57号を走行していると右手に大きな橋が見えてきます。
宮崎県の高千穂へつながる国道325号との合流点の黒川の谷間にかかる全長205メートルの橋が阿蘇大橋です。

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この橋は以前、「赤橋」と呼ばれ赤い色の橋でしたが、現在は周囲と調和する色に塗られています。

なぜ?

実は塗り替えた理由は自殺防止なのです。

この橋の完成は1971年ですが、それ以来、身を投げる人が相次いだそうで、地元の人の話で以前は月に一度は発生していたようです。そのため、地域の住民の方が思いとどまって欲しいと、橋のたもとに「まてまて地蔵」を設置していますが、あとを絶ちませんでした。
対策として熊本県は1990年、橋の両側から水平に張り出す幅約1.5メートルの柵を設置し、さらに1994年には「刺激的な色が影響している可能性がある」、という意見を受け、現在の色に塗り替えたのです。

さらに、2002年には手すりを乗り越えられないよう高さ約2メートルのフェンスも設置しました、それでもその後数件の身投げが起こっていて、たくさんの人が命を落としているので幽霊の目撃証言も多く、心霊スポットとしても有名です。

この阿蘇大橋を展望できる場所にあか牛のモニュメントがあります。

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このほのぼのとした風景を見て、身投げを思いとどまり、霊も鎮まって欲しいなぁと思いました。
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[ 2016/01/23 07:06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

孝女白菊の話

「孝女白菊」って知っていますか?
僕は知りませんでした。

昨日記事にした数鹿流ヶ滝が見える展望台に石像と碑が建っています。

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「孝女白菊」のことは知らなかったので、「孝」を「老」と思い込み、「老女白菊」と勘違いし、石造を見て、「老女」にしては若いなぁと不思議に思っていました(^^;

「 孝女白菊の歌」というのがあり、「白菊」のことを七五調の物語詩にしたもので 日本最長の詩ではないかと言われているそうです。
その歌が人々を感動させ、 明治28年にはドイツ語訳で、続いて明治33年には英語訳で出版され、国内にとどまらず国外まで
高く評価された詩だそうです。

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父親を探しているうちに歳をとり「老女」になったのかなぁと、この説明を読んだときに思ってしまったのです、「孝女(こうじょ)」って書いてあるのに(^^;

「孝女白菊の歌」の概略は、

西南戦争の頃、白菊の父は戦いに出ていました。その間、母親と熊本県阿蘇の山里に身を隠していましたが、母親は死んでしまいます。戦いが終わり父が帰ってきますがある日父が猟に出たまま帰ってこなくなり、白菊は行方知れずの父を求め旅に出るのです。
旅の途中、山賊に囚われているところを父親に勘当されて家を出ていた兄に助けられますが、二人を追ってきた山賊に襲われ二人はまた離ればなれになってしまいます。
その後、農夫の養女になった白菊のもとに縁談が持ち上がりますが、その縁談が嫌で身を投げようとしました。その時、離ればなれになっていた兄に再び助けられるのです。そして兄と故郷の家に向かうと、崩れかかった家には年老いた父が戻っていたという話です。

この話は阿蘇では実話となっていて、白菊の墓もあるそうなので行ってみたいと思います。

それにしてもまだまだ知らないことがあります、旅は本当にいろんなことが学べるなぁと、あらためて思いました。
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[ 2016/01/22 07:01 ] 未分類 | TB(0) | CM(10)

数鹿流ヶ滝(すがるがたき)

熊本県南阿蘇村にある、日本の滝百選に選ばれている数鹿流ヶ滝(すがるがたき)です。

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国道57号線から高千穂方面へ行く国道325につながる阿蘇大橋から見ることができますが、運転中だとチラっとしか見ることができません。それで今回初めて国道沿いにある駐車場に車を停めて滝の展望所まで歩いていくことにしました。徒歩5分くらいです。
というか、10年以上熊本に住んでいて初訪問とは(^^;ま、そんなもんですよね。

展望所にあった案内板によると、落差60m、滝幅20mの大きな滝です。
そしてその案内板には「数鹿流ヶ滝」の名前の由来が書かれていました。

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数鹿流ケ滝の名前は、1191年、阿蘇家が行った下野の巻狩りで武士の乗った馬や犬に追われた数匹の鹿が滝の上流の川に落ちて滝まで流れたことに由来するそうです。

この他にもう一つの説があります。
それは、健磐龍命(タケイワタツノミコト)がカルデラ湖となっていた阿蘇に農地を造るため、外輪山を蹴破りました。その時、そこに滝が出来、その滝に鹿が数頭流され「数鹿流ヶ滝」と呼ばれるようになったと云われるものです。

神話好きとしてはこちらの説を支持したいと思います(^^;
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[ 2016/01/21 06:56 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)
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