種子島の広田遺跡

種子島の最終日、広田遺跡に行きました。
弥生時代後期から7世紀にかけての墓地遺跡で、国の史跡に指定されています。

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種子島宇宙センターも臨める海岸線にあり、昭和30年に発生した台風22号によって、砂丘の一部が崩壊して人骨や副葬品の貝で出来た装飾品などが砂浜に露出したのを地元住民が発見し調査が始まりました。
調査ではこれまで見たことないような貝の製品を伴う墓地遺跡であることがわかったそうです。

発掘調査後は装飾品は調査のため(?)保管し、人骨は埋め戻されました。
今も墓碑のしたには数多くの人骨が眠っていますが、装飾品をとられて悲しんでいるでしょうね。

昨年、この遺跡に「広田遺跡ミュージアム」が完成しました。

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館内では遺跡のことや広田人のことなどを説明した資料が展示されています。
オヤジ一人だったのにガイドさんが丁寧に説明してくれました。

発掘調査では、人骨のほかに数万点以上もの貝装飾品が出土したそうです。
しかしそれらのほとんどは種子島に残ってなく、偉い先生が持ち帰ったそうです(^^;

長年、ただの遺跡だと判断されていたのだけど、研究の結果、種子島特有の貝装飾品などがあったことから2008年に国の史跡に指定されということです。

偉い先生方が持ち帰ってくれたおかげですね(^^♪

このミュージアム内にある人形はUSJの人形を手がけたスタッフによるものだそうで、そして両手を広げる人形は仲間由紀恵がモデルとか。
貝を身に着ける広田人の子供はモモクロの黄色がモデルらしい。よく分からないけど・・・・どうも種子島で生まれたからだそうです。

こんな説明を鹿児島行きの船の時間を気にしながら聞いていました。
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[ 2016/10/30 06:47 ] 屋久島・種子島 | TB(0) | CM(0)

種子島に残る神聖な「赤米」

種子島で宿泊した「SANDAL WOOD」という宿で夕食の御飯に「赤米」がでました。

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普段はおかずをつまみに焼酎を飲んで終わりなのですが、「ご飯は赤米ですよ」の言葉に誘われていただくことに。
見た目は赤飯みたい、というか赤飯です。

ただ普通の赤飯と違うのは食感で、小豆のように柔らかくなく赤米が「プチプチ」という感じです。
軟らかい白米とプチプチの赤米がなんともいえない食感でとても美味しかったです。

この赤米は古代から守り継がれている大切なもので、「宝満神社」が受け継いでいます。

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神武天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)が高天原より宝満の地に降臨した際に携えてきたのがこの赤米と伝わっています。
神代から伝わる米、すごいですね。
この神社では今でも「オセマチ」と呼ばれる神聖な田んぼで赤米が栽培され、毎年「お田植祭り」が開催されています。

宝満神社に伝承する赤米のことや地域の民俗行事や稲作文化などについて分かりやすく紹介しているのが宝満神社のそばにある「赤米館」。

赤米 (3) (640x427)


もし宿で赤米を食べてなかったらこれらの場所には訪問しなかったでしょうね。
赤米を食べる前に赤米館で勉強していればもっと美味しく赤米を食べれたのかなぁ。

またあの独特の食感の赤米を食べに種子島に行きたいです。
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[ 2016/10/29 07:51 ] 屋久島・種子島 | TB(0) | CM(0)

鉄砲伝来の地 種子島最南端「門倉岬」

宇宙センターのある種子島。
でも種子島といえば鉄砲ですよね。
その鉄砲の伝来の地が種子島の最南端「門倉岬」です。

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天文12年(1543年)8月25日、台風の直撃を受けた船がここに漂着して鉄砲が伝わったと歴史で習いました。
この海に漂着したんですよ。
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ここからは屋久島が見えます。

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屋久島のほうが若干南にあるから屋久島に漂着する可能性もあったわけで、その場合は屋久島が鉄砲伝来の地になっていたんですね。

ところで鉄砲伝来は「南蛮船」が漂着して鉄砲が伝わったって多くの人は思っているのではないでしょうか。
僕もそう思っていました。

でも違うみたいです。「ポルトガル人を乗せた」船が漂着したんです。
明国(今の中国)の船に3人のポルトガル人が乗っていて彼らが鉄砲を日本に伝えたのだそうです。

門倉岬にはポルトガル人上陸の地があります。

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行ってみようかなと思ったのですが、この道は・・・・で止めました(^^; ハイ、根性なしです。

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先日記事にした日本初の鉄砲作製に悪戦苦闘していた八板金兵衛清定の娘「若狭」の悲しい物語。
彼女のおかげで日本で鉄砲が出来たのですが、その悪戦苦闘していた技術が「ネジ」の作製でした。

今普通に使っている「ネジ」という言葉は鉄砲を分解した種子島の鍛冶職人が「捻り(ねじり)」と名づけたことに始まるそうです。

いやあ、色々勉強になった種子島鉄砲伝来の地です。
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[ 2016/10/28 06:36 ] 屋久島・種子島 | TB(0) | CM(0)

種子島の地鶏「インギー鶏」美味しいよ~♪

種子島の南種子町には「インギ-鶏」という地鶏がいます。

この鶏は、明治27年(1894年)に暴風雨に遭遇して種子島に漂着したイギリス帆船ドラメルタン号に食糧用として船に積まれていた鶏がもととなっています。
船員の救援や介護のお礼として11羽の鶏が島民に渡され、当時イギリス人を「インギー」と呼んでいたことからこれらの鶏を「インギー鶏」と呼ぶようになったそうです。

その「インギー鶏」が食べられます。

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実は食べることが出来るのは「インギー鶏」ではなく「インギー地どり」と呼ばれるものです。
長年島民によって大事に純潔を守ってきた純粋な インギー鶏は南種子町指定文化財に指定されたあと、2013年には鹿児島県の天然記念物に指定されました。そのため食べることが出来なくなったのです。

そこで、他の品種と掛け合わせてできたのが「インギー地どり」。

写真は南種子町にある宿で夕食に出たものです。
地どりってなんとなく肉がかたいイメージですが、柔らかくてとても美味しかったです。

名物を食べられて大満足でしたが、翌日ある資料館のスタッフが「インギー鶏ラーメン」が美味しいと教えてくれました。

それは行かねば。
ということで向かったのが南種子町にある「美の吉」。
この店は自家養鶏場で育てた「インギー地どり」を提供してくれる食堂です。
人気なのがインギー地どりでとったスープを利用した「インギーラーメン(メニューはただラーメンとしか書いてません)」です。

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スープはあっさりだけどコクがあり、細い麺に良く絡みます。
ラーメンのスープはいつも残すけど、このスープは全部飲み干せました。
すごく美味しいラーメンでした。

だたチャーシューが豚肉だったのが残念。岡山の笠岡ラーメンのように鶏肉でチャーシュー作ってほしかったなぁ。
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[ 2016/10/27 06:39 ] 屋久島・種子島 | TB(0) | CM(4)

種子島前之浜海岸で見つけた。さすが宇宙の種子島

まだまだ続く種子島記事(^^;

種子島はきれいな海岸が多いです。
その一つが8キロにわたって白い砂浜が続く「前之浜」。
ここは海亀が産卵に上陸する海岸です。

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ここは2009年7月22日の皆既日食の観察 ポイントになった場所で、当日は沢山の人が訪れたようです。
そしてこの波、サーフィンポイントとしても人気だそうですが、訪れた日は「誰もいない海」でした(^^;

潮風を受けていたらちょっともよおしてきたので公衆トイレへ。
するとさすが宇宙に一番近い島です。

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面白い!
なんか楽しくなってきました。トイレ内部も宇宙に・・と思ったけどこちらは普通でした(^^;

でも、スカートの宇宙服ってあったらどうなるのかなぁ、なんて馬鹿なことを考えながらこの地を後にしたのでした。
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[ 2016/10/26 06:41 ] 屋久島・種子島 | TB(0) | CM(2)