キリシタン大名「大友宗麟」が築いた臼杵城下町

昨日記事にした「臼杵石仏」がある大分県臼杵市は戦国時代キリシタン大名の「大友宗麟」が開いた城下町です。

でも市内にはそれを感じさせる施設は残っていません。

そんななか、「久家の大蔵」という蔵にはポルトガルと臼杵の交流を表したアズレージョの壁画が装飾されています。

臼杵
久家の大蔵

タイルはアズレージョの本場ポルトガルで作成されたものです。

蔵は江戸時代末期に棟上げされた蔵で、造り酒屋の『久家本店』が 貯蔵庫として使用していた酒蔵だそうです。  

この酒屋がある周辺が城下町で、当時の町割りを偲ばせる商店街ができあがっています。
商店街には江戸時代初期から400年の歴史を持つ味噌醤油屋さんもあります。

臼杵2
八町大路
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商店街からちょっと歩いたところにあるのが「二王座の歴史の道」です。
二王座は、武家屋敷が立ち並び、多くの寺が集まっている地域で、江戸時代の面影を今も感じることが出来ます。

臼杵4

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1556年、大友宗麟が臼杵に築城して多くのキリシタンが臼杵に移住し、臼杵の町の基礎はキリシタンによって整備されました。
そして日本で一番美しいといわれた聖堂や修道士が勉強する場所もあり、日本での布教方針を決める重要な会議もここ臼杵で行われていたそうです。
まさに臼杵は日本におけるキリスト教文化の中心都市だったんでしょうね。でも、その面影は町を歩いても見ることはできません。

大友家が滅び、そしてその後のキリシタン弾圧が全てのキリスト関連施設を破壊したんでしょうね。
大友宗麟が神社仏閣を破壊したように(一説では宗麟の息子「義統」が行ったとも)。

今もそうだけど、宗教がらみでの破壊が多いのはどうにかならないのでしょうかね。
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[ 2017/05/25 06:40 ] 大分 | TB(0) | CM(0)

国宝 臼杵石仏

昨日の記事で「大分に乾杯」したので、今日はその大分県の記事。
臼杵市にある国宝「臼杵石仏」の紹介です。

総数60数体、すごい数の石仏が山の中腹に鎮座しています。

そのなかで臼杵石仏を代表するのが大日如来。

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中央の一番大きな石仏が大日如来

平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたといわれる国を代表する石仏群で、1995年、磨崖仏では全国初の国宝に指定されました。

その国宝に指定される条件がありました。

それはこの大日如来に関するものです。
実は大日如来の仏頭は長年、仏体から離れて地面に置かれていました。

臼杵石仏2
仏頭は、仏体下の台座に置かれていました。

この状態が臼杵のシンボルとして長年親しまれていました。1980年から始まった大規模修復のときにこのままにするか頭をつなぐか激論が交わされたそうですが、最終的にこの仏頭を仏体につなぐことが国宝指定の条件になったため復元されたのです。

個人的には、はやり以前の仏頭が下にあるほうがよかったなぁと思います。

ちなみにここにお参りすれば、
仏頭が再び体とつながったということで、会社でリストラされない(首がつながる)という俗説が生まれているそうです(^^)

そのほか石仏群には、千年の時を超えていまなおその色彩を届けてくれる地蔵十王像などもあります。

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すごいでしょう。
これから梅雨時、湿気があるとますますきれいな色彩が浮かび上がります。

臼杵石仏は、誰が何の目的に、そしていつ作ったか分からない謎に包まれた石仏です。
ここを訪れて千年以上前の空気に触れてみては?
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[ 2017/05/24 07:03 ] 大分 | TB(0) | CM(2)

別府観光の父「油屋熊八」って知っていますか?

JR別府駅を降りると、「ピカピカのおじさん」像があります。

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この「ピカピカのおじさん」は別府観光の礎を築いた実業家、「油屋熊八」です。

なぜ「ピカピカのおじさん」かというと、この銅像の裏に理由が書かれています。

『この人のまわりには、別府観光のためならなんでもしようというオモシロイ人たちが集まった。みんな子どもたちが大好きで、「オトギ倶楽部」を結成し、寓話や歌や演奏を聞かせた。クリスマスにはサンタクロースが水上飛行機から下りてきて、子どもたちをびっくりさせたりした。『オトギ倶楽部』で、あぶらや・くまはちは”ピカピカのおじさん”とよばれていた。』

だから像のうしろに子供がくっついているんですね。

熊八は、3年間のアメリカ生活をし、そのときにキリスト教の洗礼を受けました。
そして、聖書にある「 旅人をねんごろにせよ」 との教えに感銘を受けたそうです。

そのため、帰国後、妻が暮らしていた別府で亀の井旅館の営業を開始した時は、料理と寝具に一級のものをそろえ、客に満足度を聞く投書箱を設置するなど、聖書の説く「もてなしの心」を徹底的に実践したそうです。

また、別府観光を盛り上げるためにいろいろなアイデアを出しました。

一つの例は、富士山頂に別府温泉を宣伝する「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」という標柱を立てたのです。

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二つ目の例は、日本初のバスガイドを導入したことです。
別府地獄めぐりをするバスに乗った観光客相手に、バスガイドが観光案内をしたのです。

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別府公園の熊八の碑にある写真

今も別府地獄めぐりの観光バスに乗るとバスガイドさんが当時の七五調で別府観光を案内してくれます。

僕が住んでいた時の別府は衰退する一方でしたが、最近は熊八に習って市民がいろいろなアイデアを出し、街を盛り上げようとしています。
どんどん活気のある別府に戻ってほしいです。
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[ 2017/05/16 06:33 ] 大分 | TB(0) | CM(6)

恋愛のパワースポット?姫島灯台

大分県の姫島のパワースポット。

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姫島灯台がパワースポットではありません。敷地内にあるものがパワースポット。
灯台からは瀬戸内海が一望できます。

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瀬戸内海がパワースポット?ではありません。

それは、ハート!
台風によって倒木した樹齢100年のオオシマザクラの切り株がパワースポットなんです。

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倒木したまま放置していたら危険なので木を切ったところ、なんとハート型が現れたのです。 
それでもこのハート、長い間誰も見向きもしなかったそうです。
そのうち、ある村民が、
「あん切り株、よう見るとハート型に見えんかえ?」(大分弁)
と。

そのうち、「何か(なんか)いいことがあるんやねぇんな」、「ちょっと幸せな気分にならんかえ」
とか島でひそかな噂になりだしたんですよ。

そして付き合い始めてまだ間もない村民のあるカップルがこのハートの切り株を見に来たところ、なんとゴールイン!

それ以来パワースポットになったということです(^^)
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[ 2017/05/15 06:28 ] 大分 | TB(0) | CM(0)

姫島に伝わる「七不思議」

古事記の「国産み」神話に出てくる姫島には七不思議が伝わっています。
そのいくつかを紹介します。

一つ目は「千人堂」

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姫島の 観音崎にある馬頭観世音を祀った小さなお堂です。伝説では、大晦日の夜、債鬼(借金取り)に追われた島民をこの堂に千人かくまったことから「千人堂」と名づけられました。
二坪ほどの広さのお堂に千人!
不思議ですね。

次は浮洲。

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フェリー乗り場とは島の反対側の沖合の小さな洲です。
漁業の神様である高倍様を祀っていて、なんと高潮になっても大しけになっても高倍様と鳥居は決して海水につかることがないというのです。
この日も結構波は高かったけど鳥居に波しぶきはかかっていませんでした。

姫島に残る七不思議の多くが日本書紀に登場する美女神の比売語曽(ひめこそ)にまつわるものです。

島にはその比売語曽を祀った神社があります。

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神社のそばにある七不思議が拍子水(ひょうしみず)という湧水。

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お姫様がお歯黒をつけた後、口をゆすごうとしたが水がありませんでした。そこで手拍子を打って祈ったところ水が湧き出したのがこの拍子水なんだとか。
いまも勢いよく湧き出ていて、炭酸水素塩冷鉱泉なのでこれに温水を加えて温泉にし、湧水のそばに温泉施設が建っていました。

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拍子水から少しはなれたところに“かねつけ石(別名おはぐろ石)”があります。

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お姫様がお歯黒をつける時、石の上に猪口と筆をおいたところ、その跡ができたといわれているのです。
すごいですね、不思議ですね~。

そのほかに、お姫様が使った柳の楊枝を土中に挿したところ、その楊枝から芽が出て成長した逆柳(さかさやなぎ)とか、お姫様が島民のために池を埋めて稲田を作ったのだけど、誤って大蛇を埋めてしまい田が浮いて揺れる「浮田(うきた)」の跡など、比売語曽にまつわる不思議が沢山の姫島です。

まさに比売語曽姫の島、そう「姫島」ですね。
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[ 2017/05/14 06:49 ] 大分 | TB(0) | CM(0)